梨木香歩

――さっきはもっとはっきりとしていたのだ。 ――そうだろう。あれは毎年そうだ。もうじきすっかり消える。木槿が満開になる頃、それを助けとして立ち現れるのだ。季節ものの蜃気楼のようなものだ。木槿の横に小さい燈籠があるだろう。 ――ああ。 ――あれは埋め込まれてあの低さになっている。土に埋め込まれている部分には、地蔵菩薩が彫られている。が、地蔵菩薩は実はマリア像に見立てられているのだ。それでマリア燈籠と呼ぶものもある。元々は織部好みの燈籠として茶人の間で拡がったのだが、その部分を埋めて隠れキリシタンの礼拝に使われたこともあるらしい。  私は唖然とし、それから、 ――それでは、堀り出そう、高堂、掘り出してきれいにして差し上げようではないか。 と、息せき切って云った。高堂は少しうんざりしたように、 ―――おまえはどうしてそう単純なんだ。俺は当時―――初めてあの現象を見たとき、まだ幼かったが、それでもそのとき一緒にいた叔父にこう云われて納得したのだ。信仰というものは人の心の深みに埋めておくもので、それでこそああやって切々と美しく浮かび上がってくるものなのだ。もちろん、風雪に打たれ、堪え忍んで鍛え抜かれる信仰もあろうが、これは、こういう形なのだ、むやみに掘り出して人目に晒すだけがいつの場合にも最良とは決して限らないのだ、ことに今ここに住む我らとは、属する宗教が違う。表に掘り出しても、好奇の目で見られるだけであろうよ、それでは、その一番大事な純粋の部分が危うくなるだけではないのか、と。